ゴブリン⑤・・・甘い森のモロン

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 甘い香りが漂っている。アニスとシナモンを足したような香りだ。その馥郁たる香りに包まれた森の中で4人の妖精たちが話し合っている。

「決して感づかれてはいけない」

「もうすぐやってくるぞ」

「出迎えねば」

「しくじれば全てが終わる」

などと、口々に言っているようだ。ひとしきり話し込んだのち、彼らは急いで森の入口へと向かった。

 キルロイは片翅のユックのことを考えながら草原を歩いていた。自由自在に飛ぶことが出来たエルフがかなりの距離を歩かねばならないのだ。歩くことしか出来ないゴブリンですら、大変な距離だ。それにユックはお世辞にも我慢強い性格という雰囲気は無かった。四つの越えなければならない森の中にはあの「名うての三姉妹の森」があって、ユックに我慢できるかとても心配だった。また、五つ目の森にいる老エルフの言うことをきちんと聴けるかなど心配の種は尽きない。

「キルロイ、お前が心配してもユックの現状が好転はせんぞ」オルゴが見透かしたように言った。「それにほれ、次の森が見えてきた」

キルロイはオルゴに指したほうを見た。確かに森が見えている。風が吹いてきた。「甘い香りがする」

「おお、これはついている。」オルゴが声を弾ませた。「小さい森だが、食料が豊富な場所だ。食用に適さない木の実や葉っぱも、この森では甘い味がして食べることができる」

「いろんな森があるんだねオルゴ」

「そう。危険な森もたくさんあるが、ここは安心して過ごせるんだ」

二人は先を急いだ。森の陰影が大きくなるにつれて、その入り口辺りに何者かがいることに気づいた。4人いるようだ。

「あれは甘い森の住人モロンだ。わしも初めて見た」オルゴは驚いた様子で言った。「モロンを見たものは少ない」

 ●

 森に近づくにつれ、彼らのまるまるした姿が大きくなってコムラサキの実ほどになったとき、モロンの一人が声を上げた。「旅のお方、ようこそ甘い森へ」よく響く低い声だった。「われら苔の妖精モロン4名が接待致します」

彼らのすぐ近くまで近づいた時、オルゴが言った。「接待してくれるのかい? 確か聞いた話では君たちは・・・」

「ゴブリンのご老人。その先は明日まで待っていただきませんと。事情を御存じのようなら」先頭のモロンがさえぎって言った。「そうか。すまなかった。モロンの接待は話には聞い事がある」

「お疲れでしょう。こちらにどうぞ」モロンたちに案内され、森の奥に二人は入っていった。

「オルゴ、さっきの話はなんのこと?」キルロイが訊ねた。「まあ、今は知らずとも良いことだよ。なに大したことではない」オルゴは答えた。「この森ではモロンたちが全て仕切ってくれる。何の心配も要らないよ」

森の中は甘い香りで満たされていた。モロン自身からも香りがしていた。森の小鳥やリス、トカゲや虫たちもあちこちから現れ一行の到着を歓迎しているようだった。「こちらに今夜の野営地を用意しました」案内された先には居心地のよさそうな苔の寝床と荻の葉を編んで作った天蓋が蔦で釣ってあった。「夕にはささやかな宴を用意しています。それまではこの森の風景などお楽しみになってください」モロンたちは「後ほど」と言いおいて一旦去っていった。

 「キルロイ、散歩でもしてくるといい。わしはちょっと横にならせてもらおう。」オルゴが苔の寝床に横になった。キルロイは散歩したかったが、あたりに漂う心地よい香りに誘われたか、やはり横になってしまった。「僕もちょっと休みます」

目を覚ましたとき、すでに宴の支度が整っていた。オルゴが先に起きていてモロンたちと楽し気に談笑していた。「や、キルロイ起きたか。こっちに来て食事しよう。すごく美味しいぞ」

キルロイは用意された座について並べられたものを見て瞠目した。団栗のケーキ、ユリ根のスープ、ハシバミの実、楓の樹液のジュース、むかごやナナカマド。それに大好物の真白茸。凄いごちそうだった。味も素晴らしかった。

楽しい時間が過ぎていく。モロンたちの名もわかった。リーダーで両耳が垂れているのがメル、真面目な感じで耳がピンとしてるのがコン、控えめで穏やかなパラ、右耳が垂れていて喰いしんぼなロン。彼らはそれぞれが聴いた旅人の話や、この森でのエピソードを面白く話した。キルロイとオルゴもこれまでの旅の話をした。禁忌の森の話では皆が息を飲み、名うての三姉妹の話では笑い、ユックの話では彼の身を案じた。

キルロイは楽しかった。珍しくオルゴも笑っている。.こんな楽しい夜は初めてだった。この森では何でも食べることができるが、だからと言って放恣に過ごしてよいわけではないことを知った。森の生き物たちは節度をもって食べ、極力ごみを出さず、種を植えて森の植生を保つよう心掛けていた。

夜も更け、オルゴは「夜更かしは年寄りの毒」とかなんとか言いながら寝床に入ってしまった。「キルロイ、貴方は賢く思慮深い青年ですね」コンが言った。「でも心に影があるようです。」メルが引き継いで言った。「我らに話すことで気持ちがらくになるなら、どうぞ話して下さい。」パラが頷き、ロンがむかごを頬張りながら「そうそう、言って下さい。」と言った。

キルロイは自分の生い立ち、村での生活、自分の性格の嫌なところ、旅の目的と不安を話した。こんなにも他者と語り会えたのは初めてだった。親友ディゴルとも話したことがない事も話した。全くの初対面だったからかもしれない。4人のモロンたちは適度に意見などを言いながら、キルロイの話を聴いてくれた。キルロイは心が軽くなる気がした。旅が終わったらこの森に定住したいと思った。自分も旅人の話を聞いてあげたいと思った。夜が深くなるにつれ、甘い香りが強くなってきた。モロンたちからも強い香りがしている。キルロイはいつしかウトウトし始めていた。「僕もここに住みたいな」と寝言のように言いながら、パラに抱き上げられ、寝床に降ろされた。「キルロイ、楽しんでくれてありがとう。ゆっくりお休み」

キルロイが熟睡し始めたのを見届け、メルが言った「首尾は上手く行った。では皆分かっているね」 皆が頷きばらばらに森の奥に消えていった。

 翌朝、キルロイは爽やかに目覚めた。寝床の周りの地面に球のような水滴がびっしりついている。森全体が生命にあふれている感じだった。地面を覆う苔も昨日より膨らんでいる。オルゴはもう起きていた。「キルロイ、メルが話があるそうだ。わしはちょっと散歩してくるよ」何か態度がちょっと変だった。

「おはようキルロイ」メルがやってきた。「よく眠れたようだね」

「メル、昨日は素晴らしい夜を過ごしました。あんなに楽しかったのは生まれてこの方、初めてでした。みんなにもお礼を言わないと」キルロイは辺りを見渡していった。「今日の森のようすはどうしたんですか?何だか物凄く勢いがあるような気がします。」

「キルロイ、ありがとう。そのことについてちょっとお話させてください。」メルは言葉をつづけた。「この森は、すべてが甘く、滋養に満ちた植生をしています。しかし時間とともにその香りも栄養も弱くなっていきます。それが枯渇し始めると我々モロンが誕生します。モロンは甘い森を維持するために、そのエナジーとなるものを吸収せねばならないのです」

キルロイは驚いた「それってどんなことを・・・」

「貴方たちのような旅人を楽しませることなんです。旅人が喜び、私たちもそれを嬉しく思います。それがこの森の滋養となるんです。僕たちはその肥やしとなります」

「肥やしって!どうなるんですか! 他の三人はどうしたんですか。コンやパラ、ロンは」

「彼らはすでに肥やしとなりました。この森のようすを御覧なさい。生命力に満ちてますでしょう。これは喜ばしいことなんです。モロンはこのために存在し、達成することが喜びなんです」メルが穏やかに言った。

「キルロイ、もう時間がありません。貴方たちは素晴らしい喜びをこの森にもたらせてくれました。僕はそのお礼とお別れを言うためにあなたを待ってました。」メルの体が透け始めた。輪郭も揺らいでいる。

「そんな、お礼を言うのはこっちなのに」キルロイは叫んだ。

「キルロイありがとう。貴方がたに会えて本当に良かった」ついにその姿は水をためた透明な袋のようになってしまった。「さようなら」

「メル!」キルロイの言葉と同時にパンと音を立て、メルがはじけ飛んだ。甘い液体が大量にザッとこぼれ、苔に染みこんでいった。森の木々がざわざわと新芽を出した。森の地面を覆う苔がさらに膨らんだ。森全体が歌うようにざわめいた。

「行ってしまったかね」背後からオルゴの声がした。

「この事だったんですねオルゴ」キルロイは振り返った。「大したことじゃないってひどいじゃないですか」

「君に言えば、彼らの使命は果たせたかね」オルゴは荷造りしながら言った。キルロイも分かってはいた。

二人は当面の食料を調達し、森を後にした。どちらも無言のままだった。

キルロイは、歩きながら、もう一度振り返った。一回り大きくなった森がそこにはあった。

「彼らは・・」とオルゴに言いかけてやめた。

先を歩くオルゴの肩が震えていたからだった。